1959年、オーストリアのサンクト・マルガレーテンの歴史的な古い石切場に8人の彫刻家たちが集まった。カール・プラントル(オーストリア)の呼びかけに応じて集まった者たちである。かれらはこれからの2ヶ月間間、生活を共にし、昼は石切場で巨大な石彫作品に挑み、夜は皆で卓を囲んで、酒を汲み交い、大いに話の花を咲かせようというのだ。「国際彫刻シンポジウム」と名付けられたこの怪しげな集まりは、結局、参加した芸術家同士で大いに啓発し合い、得るところがあったようで、翌年再びメンバーを入れ替えながら同地で開催されている。そして、またたく間に、ヨーロッパ各地、アメリカ大陸、アジア、日本など、同じ理念と形式を持って各地で開催されるようになった。
学生時代から、横沢英一氏のオルガナイズした諏訪湖(1978年/長野県)への参加をはじめとして、同氏のオルガナイズによる萩(1981年/山口県)、そして、オーストリアのマティアス・ヒッツ主宰のリンダブルン(ニーダーオーストリア州)で運営全般の助手を努めることになってから、各地のシンポジウムに片っ端から参加した。また、1988年、日本に帰国してから仙台(宮城県)でシンポジウムをみずからオルガナイズする機会に恵まれ、土屋瑞穂氏(当時の宮城教育大学教授)が実行委員長となり開催することができた。その後、岩手町浮島に移り住んでから、岩手町で30年近く開催されている岩手町国際彫刻シンポジウムの副実行委員長として参加している。