うきしま
西暦2007年(平成19年)
7月
| 7月28日 "Peter hietz" マティアスの息子のペーターの一家がクラスタルに遊びに来る。彼らはすぐ近くのチロル地方にあるキッツビューゲルにサマーハウスを持っていて、ちょうどそこに来たそうだ。12年ぶりの再会。 |
| 7月27日 "Krastal 0727" きょうはスポンサー・パーティ。 シンポジウムのスポンサーを招待してパーティをするのだという。できれば国際色豊かな料理でもてなしたいとオルガナイザーが言うのだが、我々はイマイチぴんと来ない。そこでエジプト人作家のハゼムが、私がやりましょうと名乗り出てくれた。かれは今回、何度か料理したが、腕は超一流。レストランのバイトで鍛えたそうだ。彼は朝から番までかけて、レバノン料理を中心にアラブ風の前菜を十品ほど準備。シベラがインド風肉団子、クロアチア人の作家がデザートにパラチンケン(パンケーキ)を作った。超豪華! |
| 7月20日 "Eisenkappel" シベラと二人で、クラスタルから車で一時間ほど、クラーゲンフルト南東の山間の静かな農村アイゼンカペルに出かけた。古い友人の彫刻家トーマスと画家アルミンたち、(日本の日光に住む)彫刻家アントン仲良し三人組のイベントのオープニングパーティに出かける。山のてっぺんの農家で、8人ほどでインスタレーションアートの展覧会。音楽と氏の朗読会。200人ほどの観客が集まり、ビオ・ビールと自家製シュナプスののみ放題、ぶたのまる焼き、屋外に作品を見学しながら、かれらとの久しぶりの話は楽しかった。サックスの即興、ちょうど来ていたアントンの娘と日本の学校の惨状について話をする。夜中の二時に帰る。 |
| 7月14日 "Krastal 0714" 昨日のヨーデルのせいか、朝起きたら二日酔いっぽかったので、引くまでベッドでごろごろと。寝床で iPodを聞きながら過ごす。四時に歩いて石切場へ、気温が落ち着いてきた頃を見計らって仕事再開、八時過ぎまでしっかり集中できた。来てから一度も雨が降っていない。毎日30度を超す猛暑なのだ。私の作業しているところは日中もろに日が当たるので特にきつい。しかし朝と夕方には気温も落ち着き、作業しやすい。正面の内側カーブを完成砥石を一段階かける。 |
| 7月13日 "Krastal 0713" 窓のくりぬきを完成。夜はビジネスグループのパーティ、夕食会がシンポジウム会場で行われる。我々はそこで食べ物と飲み物にありつくはずだったが、あっという間にスナック食は売り切れ、仕方ないので自分たちでスパゲッティを作って食べてたらパーティの酔っぱらいたちが、他の連中と入ってくる。何という連中だ。こっちは腹ぺこで死にそうなのに。しかし、一人セミプロのローカル・シンガーがいて、ノリまくり、歌を歌いまくり、ヨーデルしまくりの結構楽しいパーティになった。 |
| 7月10日 "Marble Quarry" 午前中半日雨。午後からのんびりと石切場へ。あちこち散歩して探検する。標高900M、ダイナミックなカリンシア地方の風景。青みを帯びた美しい大理石。あちこちと山を散歩しながら、準備してもらった石を見ながら作品プランの再検討。 |
| 7月8日 "Glacier" インスブルックから山を抜けて氷河を見てクラスタルに。夜エマニュエルたちの泊まるホテルを探しながら,クラスタル近くのガストハウスで食事。アイアーシュバマルンソースの美味しいステーキを食べる。シンポジウムハウスに初宿泊。六人一緒の強制収容所....。 |
| 7月7日 "Innsbruck" マンハイムからエマニュエルの車でオーストリアへ行く。途中、マンハイムに立ち寄り、エマニュエルの彼女(#2だよ、とエマニュエルは言うのだが)クドラを乗せて、オーストリアへ三人旅。インスブルックまで三時間あまりひた走る。インスブルックの町の中心はとてもきれいで古びていた。中世的な雰囲気のこぎれいな店が建ち並ぶ歴史ある古い町の中心街は観光客に溢れている。 インスブルックを離れて、隣町にホテルの部屋を取ってから、エルンスト・パックスマイヤーというエマニュエルの古い友達、画家、彫刻家のうちを訪ねる。彼は若くしてスポーツの事故で半身不随、しかし改造車でサハラ砂漠縦断や横断を七回、インドネシアやタイ、ビルマの旅など、世界中をかけずり回って制作活動している恐ろしい超人だ。夕食を自宅でごちそうになり、帰ってから三人でホテルで飲む。 |
| 7月6日 "Wachenheim" 朝、十時頃起きる。エマニュエルは遅寝遅起きのようだ。パンツ一枚で、彼の家だから当然なのだが、ぼさぼさの頭で起きてきてシャワーしたか?と聞く。僕らはコーヒーを飲んでから、マンハイムの街に行き、彼の仕事の打ち合わせに付いていった。まだ打ち合わせに時間があるらしく、向かいのカフェでだぶるのえすぷれっそをたのむ。 僕はそこで、二回のバルコニーに立っている、彼の作った馬、金箔を張った頭に、お札のコピーを背中にしょった馬を見せられる。その建物、質屋なのだが、マンハイム一の大きな店で、中に入るのエマニュエルのデザインしたインテリアとファニチャー。ちょっと銀行ぽくって、質流れ品の展示販売もあり、質屋の後ろめたさがない。オークションルームもある。 そのあと、マンハイム郊外、これまた、インテリアと庭をエマニュエルがすべてのデザインをやったという、エマニュエルの元彼女シベラの家に行く。彼女とは一度東京で会っている。久しぶりの何年かぶりの再会。いまでは超金持ちの歯医者の奥さんだ。彼女の夫はドイツでインプラント技術の開発をした医師らしい。でも、彼女は相変わらすキュートで魅力的。けらけらと笑うのがとてもくったくなくブロンドの青い瞳、すてきな女性だ。エマニュエルと相談して、彼女には「カタギリの息子」であると紹介することにした。えっと、いう顔をしたモノの、あなた、お父さんそっくりね、と、素直に我々のおふざけにつきあってくれる。小一時間、彼女の優秀な世界中を講演に駆けづり回る夫も帰宅して、とても幸せで楽しい時間を過ごした。彼女、僕の作品ほしいらしい。あとで写真送ってねといわれた。エマニュエルにいわせると、金は腐るほどあるそうだからあとで俺が交渉してやるよといわれる。 その足でマンハイムの西の小さな村、バッヘンハイムに向かう。ワインシュトラッセの起点、ワイン畑の広がる美しい村、今回のドイツ旅行の真の目的である、そこに今も住むコーネリア、彼女との再会。いま、行かなければならない場所、しておかなければ次に進めない事。それが彼女との再会、しかも彼女の住むバッヘンハイムで会うこと、そこに行くことだった。 見覚えのあるマンハイムからバッヘンハイムへの道。20年前、オーストリアからスコットランドへのオートバイでの旅の中継地、行き帰りほとんど必ずといっていいほど毎回立ち寄った道、何十度走ったことか。しかし、おぼろげな断片が記憶に照合する。見覚えのある家並みと村の広場、、村の入り口に立つペーターの彫刻。複雑な懐かしさのうちに、彼女のいま住む家、そこは元々彼女たちの自分の家だったが、仕事場の関係で家を交換し、しばらく義理の両親が住んでいた。一度しか行ったことのない家だったが、僕はすぐにその場所を見つけることができた。 何となく見慣れた白い壁、ドアの呼び鈴を押すと一呼吸置いて彼女が現れた。心臓が飛び出す、ハロー、僕たちはしっかりと抱き合ってほっぺたに挨拶のキスをする。20年ぶりだもの。驚くほど、20年前とほとんど変わっていない彼女。以前と同じ髪型、僕らはしばし居間でこれまでの長い時間の出来事を少し語り合った。そして、彼女の提案で隣町、ダイデスハイムのレストランに行って食事することにした。彼女が電話で行きつけのレストランに予約を入れると、車で十分ほど、いかにもドイツっぽい田舎町、ダイデスハイムに到着、ゴルバチョフもレーガンも来たそうだ。レストランだらけ。あと一ヶ月のすると、とても、小さいけれども、こぎれいなレストランで僕らは三時間ほど、そこの名物であるシュバインマーゲンを食べながら、とても切れの良いラインプファルツの白ワインを飲みながら、20年前のようにお互いの身に起きた様々なことを楽しく語り合った。 途中、大きく成長した息子のヤンが加わって、会話はまた一段と盛り上がる。父親そっくりのひげを蓄えて、彼はちょうど今日の今、オランダでのセーリングクラスのバイトを終えてちょうど今日帰宅したところだった。娘のレナは九月からアバディーンの大学に通うという。いま、ボーイフレンドと旅行中らしい。エジンバラの我々の家に必ず遊びに来るように言っておいた。まるで、先週会ったばかりのような、まるでまた来週の土曜日に同じところで会うことになっているように、別れる。何か、救われた気がする。 ずっと僕の心に広がっていた白い闇が、少し、その勢いを弱めたような気がする。監禁された記憶が少しずつ、私の手の中にまた、戻り始めたような気がする。時計が、止まった時計がまた動き始めた。この再会を私は二十年間待っていた。ここに来るまで二十年間かかってしまった。今なら、今からなら少しずつ、少しずつ、ペーターのことを語り始められるかもしれない。僕の旅はまた始まったばかりだ。 マンハイムに戻り、エマニュエルの友達たちとカフェで飲む。
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| 7月5日 "Kassel Dokumenta" カッセルに行く。 一日で五会場すべて見て回る。がっかり。ドクメンタのパワーはどこに行ってしまったのか? 夜、マンハイムへ。エマニュエルと再会。彼のデザインした寿司バーですしを食べてカフェで飲む。 |
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7月4日 "Muenster Sculpture Project#2"
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| 7月3日 "Muenster Sculpture Project" 飛行機でエジンバラからデュッセルドルフへ。そこから汽車でミュンスターへ。十年に一度開催されるミュンスタースカルプチャープロジェクトを見に行くためだ。 ドイツは6時すぎると旅行センターもツーリストオフィスもみんな閉まっていて、やっと見つけた駅のホテル案内は恐ろしく愛そうが悪く、対応した中年の太った、めがねをかけた男は、早くうちに帰りたいのにこんな訳のわからない日本人の相手なんかしていられるかい、さっさとうちでフットボール見ながらビール飲みたいと顔に書いていそうな感じの対応ぶりだった。 重いスーツケースを引きずりながら何軒かホテルを廻り、安めの感じのいいホテルに落ち着くと、ロビーのラウンジでバーの女の子に適当なレストランあるかいと聞いていたら、隣でビールを飲んでいた私と同じくらいのスーツにタイのビジネスマンが、常連のような感じの客が、あそこはそうだとか、あっちはどうだとか二人で相談を始めた。 結局、いま暇な彼が、街の反対側の良いレストランまで、私を連れて行ってくれることになり、町中の彫刻のいくつかを眺めながらレストランに行き、(歩いて20分ぐらいだった)夕食、 私はミュンスター名物、内蔵の煮物を食べる。ウェイターがくせが強いので、一応止めた方がいいと行っていたが、結構いける。 そのあと、二人で何軒かパブを回る。思いがけず楽しかった。 |
| 7月2日 "Thunder" よく寝た。朝六時半にケイトのケイタイに電話がかかってきた。すぐ切れたが、あとで知ったが、BTからだった。もう電話がつながっている。(いままでつながっていなかった。。。)早速インターネットでメールのチェック。たっぷりたまったジャンクメールの始末。 昼過ぎに子供たちもつれてヴァージンメガストアにブロードバンドと電話の申し込みに行った。対応の親切なこと。BTとは大違いだ。(しかしこれはあとで後悔することになる) 昼はパブランチ。また今日も土砂降り。潮音はベンのうちに遊びに行く。昨日の大雷、ベンのうちに落ちたらしい!コンピューターがお釈迦になり、ニックも危うく感電するところだったらしい。知り合いのうちに雷が落ちるなんて事はなかなか無い。昼寝。やっとキューブをあけたら、トップの一度折れたところが取れていただけであとは無事だった。タワーも大丈夫だった。絵を何枚かリビングに飾り、とりあえず、大きなところは荷物の整理が終わったといえるかな。明日はドイツだ。 |
| 7月1日 "Edinburgh Festival" 朝、ひさしぶりにゆっくり寝た。次から次へと夢を見る。このフラットに来てからよく夢を見るような気がする。今日は塩見さんが新しい店をおけた話だった。彼が自分で色々料理していた気がする。 それにしても、フラットのリヴィングにまだ、山のように積まれた本(段ボール箱約30個!)がある、それを片づけるにはいまの本棚のスペースでは容量が絶対的に足りない。どうしても新しい本棚を入れる必要がある。それでコモンウェルスプールの近くのホームセンター、ホームベースに買い物にケイトと二人で行く。しかし雨が降ったり、買いたい本棚が相当重いので、ゴードンに電話して車で送ってもらうことにする。大きな2メートルの高さのモノを二つ、1メートルほどのモノを一つと幅の狭いやつを一つ、あと、皿のセットとカトラリー、フォークナイフのセット、洗濯かごや延長ケーブル、鍋などとにかく思いつく、とりあえず必要なモノを片っ端から買った。 帰って早速本棚を組み立て、本を片っ端から詰め込んだ。それにしてもアンの本のコレクションはすごいな。ディキンズ全集からショウグンまで雑多で、そうたいしたものがあるわけではないのだが、文学、芸術その他多岐にわたっている。本が好きなのだろう。ケイトの兄弟たちが、もしかしたら価値があるかも、ということで、専門家に鑑定してもらったが、高そうなのはピーターパンの初版本ぐらい、しかし価値を持つには装丁の修理が必要なのだそうだ。本の修理!修理するモノとは知らなかった。イギリスは本にうるさい。とにかく本好きなのだろう。エジンバラ・フェスティバルのブック・フェスティバルなんかとってもすごい人気だし。先日会った日本総領事が彼の在任中に村上春樹をこのブックフェスティバルにぜひ呼びたかったのにと残念がっていた。もうすぐエジンバラフェスティバルが始まる季節だ、そういえば。 |
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「新・浮島日記」
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