うきしま
西暦2007年(平成19年)
6月
| 6月30日 Edinburgh summer holiday 荷物の整理、午後、ニックとベンと一緒に我々四人も車に乗せてもらい、シネワールドに「シュレック3」を見に行く。新しくて広い映画館でポップコーンを死ぬほど食べコカコーラをトイレに行くのを我慢しながら死ぬほど飲んだ。映画はまとまりもなく、いまいちパンチに欠ける駄作だった。音楽もイマイチ。しかし、そのままニックの家に行き、「ドクターフー」をみんなで一緒に見たのはとても楽しかった。イギリスは元気だな。もうすぐハリーポッター六作目が映画公開されるのも話題沸騰中だし、本もどこの本屋でも発売日までにカウントダウン中。この「ドクター・フー」という番組はウルトラマン並みに超長寿命番組。何十年やっているんだろう。主役も今のデヴィッド・テナントで五人目くらいかな。ウルトラマンは残念ながら尻すぼまりになってしまったが、これは逆に現役ばりばりの何ともすさまじい超大人気作でいまでも大ヒット作、今日はシリーズ(シーズン)最終回、ストーリーはちょっと適当だが、ドクターフーなら何でもありさ。とっても盛り上がり、よかった。最後はタイタニックと衝突?!これでしばらくお休み、次回はクリスマスだそうだ。興奮冷めやらないまま、マリアンの作ってくれたパスタを食べる。食後、男女のチームに別れて、シェラーズ(ジェスチャーゲーム)をする。本や映画の題名当てクイズだ。家族総出演で、とても楽しかったが、やり方がよくわからなかったせいか、絵美理はイマイチノリが悪かった。 |
| 6月28日 Moving day#4 絵美理引っ越しにくたびれて今日は珍しく学校休む。結構まじめに通っていた。彼女曰く今はもうほとんど生徒が来ていないので、授業はビデオ観たり、なんかしてるそうだ。生徒の半分ほど、みんな早々と自分で夏休み入りしているらしい。夏休み明けの開始日もはっきりしない。かなりの成績優秀な実績ある進学校なのに、結構のんびりしている。絵美理にはしっかりいろいろと宿題が出た。同級生から遅れている一年分をこの夏休みに取り戻さないといけないのだ。朝、荷物の整理。荷物の整理。キッチンの片づけと本を半分ほど出す。片づけもちょっとだけ。山のように段ボールが残っている。もっと本棚が要る。しかしあまりにくたびれて、昼寝。三時間ほど。夕方、ミドルビイストリートに掃除をしているケイトの手伝いに子供たちみんなで出かける。ほとんど終わっていたが、金庫をあけたのと、残りの荷物をゴードンの車に積んでフィンドホーンプレイスのフラットに運ぶ。夜はみんなで出かけて、ドラゴンウェイで中華を食べる。昔ほどよくないかも。思ったほど、味に切れもないし、メニューもつまらない。でも、みんなで一緒に食べて楽しかった。 |
| 6月27日 Moving day#2 朝、我々のはいる貸家に行ってみた。なかなか心地よさそうだ。一目見て気に入った。今日の引っ越しは大変だった。私はあちこちとうろうろしていたのだが、ゴードンのオフィスの整理や荷物の運び出しなど、運送屋の見込み違いで、予定よりも大幅に時間がかかり、我々のフラットに荷物が運び込まれたのは五時過ぎだった。しかしフラットに着いてみるとともう一台のトラックが手伝いに人夫4人ほど連れて来たので、荷揚げはあっという間だった。しかし私の彫刻が心配だ。包み方がいまいち怪しい。しかし、荷物はそのままで、急いでゴードンのフラットへトラックに乗せてもらって荷物と一緒にケイトと向かう。そこでまた2時間ほど、荷物をすべて下ろし終わり、ほとんど解き終わる。家(フィンドホーンのフラット)に帰ったのは九時過ぎだった。疲れた。 |
| 6月26日 Moving day#1 引っ越し第一日目。九時半に超大型トラックで業者が来る、二人でてきぱきと見ていて気持ちよいほど荷物を次から次へと片づけていく。私とケイトはあちこちかけずり廻り、こまごまとうろうろと対応、予定通り?リズのうちを回ってからゴードンのところに荷物を下ろし、何とか午後八時にはゴードンの荷物もほどきおわり、今日の分はほぼ片付け終わる。疲れた。 |
| 6月25日 Moving day1 完璧な二日酔い。寝ていてもとにかく具合が悪かった。たまに起きあがり吐きまくって、なんとか午後2時半に復活。引っ越し第一弾、潮音と一緒に荷物をメリーのフラットへ運ぶ。絵美理はメリーのフラットでルカとベビーシッターする。 |
| 6月24日 Edinburgh day3 朝四時に起きたので、四時間くらいかけてメールの返事を丁寧に、やっと書いた。潮音と絵美理はリズたちとプールに行く。ケイトと私はゴードンの新しいフラットを見に行く。新しいふらっと出来たて。しかし古い家に比べるとなんと造りのちゃちい事。あちこちがたがた、広いのは広いけど。造りが荒い。雑だな。どうせ住むなら、もっとかちっとした家に住みたいモノだ。この程度なら浮島の六百万の家と大差ない。俺ならこんなところ、絶対に一億も出して買わない。六時にミドルヴィストリートのお隣さんからお誘いでドリンクにお呼ばれ。2時間ほど行ってワインを飲む。その間、冷凍庫にしまってあった特大ビーフ・フィレを使って、グレアムが晩飯を作る、事になっていた。彼はメインだけ作ってあとはほかの連中にさせたり、チップスを買って来ていた。中途半端なやつだ。私はその日は、浴びるように赤ワインを飲んで、バタンキューだった。潮音はグレアムとモノポリする。
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| 6月20日 "Edinburgh day2" 七時起床。時差ぼけ克服したようだ。 メリーとリズが来て、また家のモノ整理。しばしザックの子守。正直言って子供の面倒はもう見たくない。自分の子供たちが大きくなった今、他人の子供には全く興味がない、生理的に。それでも、子供がいるとついつい面倒見てしまうのだな、これが。ケイトのデスクワーク、引っ越しの準備段取りなどにつきあって電話をしているそばでアシスタント。久しぶりに色々話をする。夜、日本スコットランド協会の総会。エジンバラの日本総領事館へ行く。高橋総領事はあと二ヶ月で帰国すると言っていたが、なかなか話しやすい人だった。村上春樹をブックフェスティバルに呼ぼうとして動いてみたりしたらしい。久しぶりにすしを食べる。 |
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6月19日 "Edinburgh" 正確には今日なのだ、エジンバラに着いたのは。 エジンバラ空港の税関出口を抜けたらケイトがもう来て待っていた。スコットランドは香港、東京とは大違いの気候、夏にもかかわらず冷たい雨、肌寒い。ミドルビィ・ストリートに落ち着くと、リズとメリーが来る。 昼近く新しい家のオーナーのラッセル夫妻が家を見に来る。ケイトと家族たちはその対応。私は村上春樹の続きを読んでいた。 午後四時、子供たちがもうすぐ帰ってくるので、ケイトと二人で途中まで迎えに行く。久しぶりに合う子供たちはとても元気で、今日が初登校の潮音は、英語がわからないので学校の授業に付いていけないとぶつぶつこぼしていたが、エミリは、にこにこと機嫌がいい。心が躍動しているのを感じて私は本当にほっとした。我々のこの苦労は無駄ではない、と確信。寝ぼけ眼の私に向かって子供たちは熱心にしゃべりまくっていた。 私は五時半には強烈に眠くなったものの、潮音にDSをみせてもらったりケイトにマッサージしている間に何とか持ちこたえ、夕ご飯を食べて十時半にばったり寝る。 |
| 6月18日 "Journey through China" 朝風呂に入って、朝9時20分の新幹線で出発。 なぜか、今回の旅の準備は心ここにあらずで、今ひとつ集中力に欠け、最後の二日間はぼやっとして何も手に付かなかった。 二日間では作品の一つも仕上げることはできないし、手をつけても中途半端になる品あと、作品を磨いて完成させることはあきらめていたし、庭の草刈りはもう飽きた。 そんなわけで、いざ出発しても途中財布を忘れたかなと思ってあわてて鞄を探してみれば、ちゃんと入っていたし、岡田に見送ってもらってホームにあがれば、突然ケイタイを忘れたと思って泡食って探し、なかなか見つからず、ホームであたふたして、でも改めて探したら、何のことはない、いつものところに入っていた。 しかも駅で会いたくもないS氏に会う。それでも今朝はなんとか岡田を佐々木獣医に連れて行って珍しくにちょうどそこにいた先生に彼を紹介したし、ちょうどそこにキャシーもいた。 出発前に一応しておくべきこと、やれることはやったつもりだが、岡田が留守番でいてくれるせいか、なぜか、遠くに旅行にでる、二ヶ月近く海外に行くというリアリティに欠けていたような気もする。なぜだろう。 それでも、東京についてから、時間があれば是非本田君の個展を銀座に見に行こうと思っていたものの、すぐに連絡の電車があったのでまっすぐ成田に直行。すぐにチェックイン。 とりあえず、思い残すことがないように、ウナギとビールを食べてからさっさとゲートに向かう。そして、空港の本屋で買った村上春樹を読み始める。これがまたおもしろい。なぜかな。とても私の気持ちにぴったり来るのだ。歳が一回りも違うのにフィーリングがぴったり来る。 飛行機は満杯だったが、チェックインの時の受付の親切なお兄さんのおかげで足の伸ばせる広い席、非常口近辺に座った。香港に着いてからは、ゲートへの入り口周辺のホール、でしばらく時間をつぶしていたが、色あせた緑色っぽい、近代中国万歳とに十年前にかかれていたかのような、そこはあまり店もなくカフェが一軒だけ、レストランなんか無かった。いかにもあまりにも中国的で近代的殺風景な空間だ。 しかしがやがやとしゃべる中国人旅行者たちに囲まれて、そんな人くさい中にまじってベンチに座っているとなぜか心が和む自分に驚いた。 待合所のこのいかにも社会主義的中国的雰囲気だと、奥のゲートの近辺にはカフェも売店も何もないかもしれないと思って、そこにしばらく居ようと思っていたのだいたのだが、さすがに飽きてきたので、とりあえずもう行ってみようかなと、狭いゲートへの入り口で、セキュリティのチェックを受けてドアを開けたとたん驚いた。 そこを抜けていくとなんと、そこは別世界、資本主義総本山的に、クリスチャンディオール、グッチ、アルマーニにイッセイミヤケ。これでもかこれでもかブランドもののショップのかずかず。 さらに上ったエスカレーターでその上の階にはおびただしい数のレストラン。えっと息をのむ。その中にラーメン屋を探して焼きそばを食べた。汁物か温かい焼きそばと思って注文したら、間違って堅焼きそば。でも酢豚はうまかった。ちょっと量が多かったので全部食べるとこれは胸焼けするかなと思いつつも何とか全部詰め込んだ。飛行機では早速夕食が出た。。。 何度か目の覚めた長い夜を抜けてやっとロンドン、そしてエジンバラへとたどり着いく。それにしても村上春樹の「遠い太鼓」おもしろかったな。 |
6月18日 "Coockie"![]() 久木田禎一が亡くなった。 長瀬君から電話を受けて、絶句した。 そんなに持たないだろう、冬を越すのは難しいだろうとは、 春先、病院で一緒に今年の公会堂アートショウ2の打ち合わせをしたところだった。 早すぎる。 「リンガフランカ」という多言語の、赤字だらけのタウン誌の編集長、だった。変な人だなと思ったものだ。しかし、ある日、フランクロイドライドのタリアセン、のTシャツを着ていたのでなんでそんなのきてるんだいと聞くと、いやあ、このあいだ行って来たのだよ、という。えーー、なんで売れない雑誌の編集長が、あの、僕の夢であるタリアセンなんか行くの?だいたいなんで知ってるんだよ?というと、いやあ僕も専門だから、え〜、なにそれ、いやあ都市計画が専門なのさ、ときた。 へえ〜。 それから、数年後、ぼくらが本格的に、岩手をベースに活動してみようかなと思った時に、相談したのが久木田さんだった。 彼は建築家たちとの付き合い、都市環境デザイン会議への参加などを提案した。 彼の口グセ、足は地元(地域)に、目は世界に、だったかな。 それが良かったかどうかは分からないが、 彼の紹介で岩手県、盛岡の人たちとも知り合えたし、フェスティバル自体は英国大使をオープニングに迎え、見事に大成功だった。岩手山が噴火した以外は。 それから、私は彼の引き合いでいくつか国と県の委員会に入り、さらに岩手県公会堂県民フォーラムというのに引き込まれ、2年前の公会堂アートショウの企画実現に至る。 彼は浮島がとても気に入っていたようで、毎年2度は開いていた浮島パーティには必ず来ていたし、ある日ひょっこりやって来ては、ヘンな客も連れてきた。 本人は、東大都市計卒でバリバリのコンサーバティヴのクセに、さっさと自分の立ち上げた会社から退職して、僕はこれから、さすらいの都市計画家になるのさ、なんて言っていたのに。 一緒に飲むと恐ろしくつまらないか、いじめられつつどんどん盛り上がるかのどっちかであったし、事務処理と効率性の固まりのようであって、しかし恐ろしく情熱家であり、何よりも愛すべき人だったな。 僕とケイトにとってはストレートに話せる、 |
| 6月18日 "The other Mrs Jordan" メリーの本がきょう出版された。 今朝はロンドンのBBCテレビのスタジオで生出演、すでにテレビドラマ化の話も進んでおり、本売上も初日でアマゾンのベストセラー100入りという快挙。出版社もべた褒めだった。 妹の大成功にケイトも満足げだ。なにしろ、ここまでこぎ着けるのは、この6年間は本当に紆余曲折だったからだ。 この社会的問題作である「もう一人のジョルダン夫人〜重婚と裏切りの真実」と題されたこの物語は、彼女の実体験なのだから。 今は刑務所に服役している彼女の夫(裁判所の判定で正式には結婚は成立していない)、というか、彼女の二女、長男の父の彼はすでに3人の女性と結婚しており、子どもも十一人いる事が確認されている。しかも今現在もう一人の女性と婚約中と言う事だ。 詳しくは彼女の本を読んでもらえれば、もちろん私の拙筆より格段面白い話が聞けるのだが、しかし、メリーがネットで知り合った彼とつきあい始めた頃は、家族みんなはインターネットのヴァーチャルな彼で、実在していないだろうと揶揄していたが、からが姿を現し、家族に紹介して、実際に目の前にすると、まあいいやつだなと言う程度の印象だった 彼らが本気で結婚を考え始めた頃、何度かセットした結婚のセレモニー当日に彼は現れなかった。いつも仕事(彼は一度CIAの中東担当でコンピューターハッカーらしき仕事をしていると語った事がある)が忙しくて、突然の仕事が入って残念ながら行けなかったという言い訳が通るのだからこの家族は不思議だ。 もう亡くなった、親戚の一人は第二次大戦中、実はスパイだったという事で本を書いていたし、彼らの成功したビジネスマンの叔父も実はMI6だったと、去年新聞ですっぱ抜かれていたし。 スパイとか言う話にあの家族は抵抗感がないのだろう。 家族内公然の秘密として彼はCIAに務めている事になっていて(彼の国籍はアメリカ人)、次第に彼の不思議な行動パターン、突然連絡もなしに消えてしまったり、車の中に銃を隠し持っていたり、などは別に気にならなくなってしまっていた。 というか、我々周囲の心配よりむしろ当人のメリーが一番心配しているのだから、見守るべきだという意見が家族の大勢を占めた。 その間、彼らはメリーのありったけの貯金を投資して新しいコンピューターのビジネスを始め、持ち家を売り払い、後戻りできない状況に次第に自ら追い込んでいったのだ。 まあ、あとは彼女の書いた本の読んでいただきたい...。 |
うきしま
「新・浮島日記」
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