| 7月30日(日曜日)「池袋アートフェスティバル二日目」の巻 |
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| 7月29日(土曜日)「池袋アートフェスティバル開幕」の巻 |
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サンシャイン60前広場でのパフォーマンス「ファースト・ブラッド」。(HK) |
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池袋東京芸術劇場前広場での開会式。私は成り行きで二日間ステージマネージャーをつとめる事になった。急きょPAやMC、通訳の人たちと打ち合わせる。 |
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東京よさこいの人たちと一緒にモンキイズをバックに踊るルシアン・コール。 |
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| 7月28日(金曜日)「旧高田小学校での展示」の巻 |
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ケイトは今回ブルーの小部屋を作りました。 |
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私は教室に洗濯ばさみで絵をつるす。 |
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| 7月27日(木曜日)「グライズデールアーツ@スーパーデラックス」の巻 |
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グライズデールアーツの六本木スーパーデラックスでのパフォーマンス。 |
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豊洲の噴水の水出し調整。これで納得、完成。 |
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| 7月25日(火曜日)「池袋アートフェスティバル・オープニング・パーティ」の巻 |
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池袋アートフェスティバルのオープニング・セレモニーが明日館(フランクロイドの設計した自由学園)で開催。豊島区長以下、グライズデールアーツの連中の他、インスタレーションの作家達も数名集まる。 |
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| 7月24日(月曜日)「妻有アートトリエンナーレ2日目」の巻 |
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きのう見れなかったイギリスの彫刻家リチャード・ディーコンの大作を見に行くががっかり。巨大ウィンナー・ソーセージ。しかし、日大芸術学部の有志がやった「脱皮する家」は面白かった。関越道を池袋へ向かう。(HK) |
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池袋ではさっそく、文化財団での打ち合わせ後、高田小学校音楽室でベドウェーのリハーサルのアシスタントする。 |
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| 7月23日(日曜日)「妻有アートトリエンナーレ・オープニング」の巻 |
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十日町キナーレでの10時からのオープニングに何とか駆け込む。池袋のアートフェスティバル協議会の連中とも合流、バスツアーに参加。五時までみんなと作品を見て回る。(HK) |
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夜はグライズデールアーツのショウ。妻有の峠集落の人たちも踊りに詩に参加して、60年代の音楽とともに楽しく盛り上がりました。そのあと、近くのアーティスト・バーで一杯、宿泊先の旧三省小学校では若い作家達と今回のトリエンナーレについて賛否両論の話が盛り上がり、寝たのは朝の三時だった。 |
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| 7月22日(土曜日)「佐藤賢太郎氏」の巻 |
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浮島に子どもたちと母をおいて、我々2人は車で新潟へ出発。はじめに訪れるところは、ギリシャのレジデンスで知り合った佐藤賢太郎氏宅。彼は「コスモ夢舞台」といって自宅を仲間達と宿泊施設や食堂、東屋、ギャラリーやアトリエ、露天風呂などを楽しんで作っている。阿賀野川に面した渓谷地帯の素晴らしい自然の中、古屋を改造新築したその建物達は村の風景ともなじんで、とっても素敵でした。一晩ご厄介になった。(HK) |
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| 7月20日(木曜日)「池袋への荷物」の巻 |
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私が岩手町国際交流協会の事務仕事をしている間、ケイトは池袋国際アートフェスティバルへ出品する作品の梱包。宅急便で送り出す。(HK) |
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| 7月17日(月曜日)「ユピアス」の巻 |
| 夏休みらしくプールへ行く。潮音の友達のはるひ君を連れて盛岡のユピアスへ。ここは回遊式の流れるプールとウォータースライダーが売り物。二時間半たっぷり楽しんだ。(HK) |
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| 7月15日(土曜日)「浮島彫刻庭園」の巻 |
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浮島スタジオの一角を整理して、材料置き場だったところを片づけて砕石を敷いて、50坪ほどの作品展示スペースを確保。ケイトの作品を並べてみた。いけるな。(HK) |
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| 7月13日(木曜日)「浮島スタジオ」の巻 |
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私がいない間、ケイトはあたらしい第2スタジオで池袋の展示と秋の個展に向けて、盛んに小さな作品を制作していた。そのケイトの隣では、潮音がさっそく夏休みの宿題制作といって、スターウォーズのタンクをスタイロフォームで作っている。私は毎日たまりにたまった書類の処理に追われている。(HK) |
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| 7月11日(火曜日)「浮島に帰る」の巻 |
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飛行機は一時間遅れで、正午に成田到着。汽車を乗り継ぎ、夕方やっと浮島に帰る。見れば雑草だらけ延びほうだい。草刈り機が壊れたらしく、ケイトは新しい草刈り機で、とりあえず家の前の真ん中だけ刈っていた。岩手は、ひやっと涼しい。(HK) |
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| 7月10日(月曜日)「さらばギリシャよ」の巻 |
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パルテノンを見るのも大切だったが、それよりも大切なのが、大理石用の道具をアテネで買って帰る事。アテネに入ったのは土曜日で、土日はもちろん道具屋は閉店。月曜日の今日しか買うチャンスはない。しかし飛行機は12時50分発なので、チェックインは10時50分までに。飛行場までバスで約一時間かかるので、9時50分にはバスに乗らないといけない。普通、アテネの商店は朝9時開店する。店からホテルまでタクシーで約15分。品定めと商談に約30分という、かなりきわどい時間配分であった。一応、アマリアーダでバジリスからショップに日本人が行くからと電話を入れておいてもらったので、もしかしたら早めに開けてくれてるかもと、朝飯も食わずに8時15分に店に行ったら、嬉しい事に開いていた!ショップのオーナーとツーショット。 |
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この美しさは考古学博物館のコレクション並みだ!!!大理石彫刻用のノミと石彫道具の数々。日本では手に入らないのだよ。金がいくらあっても足りない...。後ろ髪を引かれる思いで買い残した数々の道具を心に刻み、無事、アテネ空港から飛び立ちました(しかし飛行機は一時間遅れ)。スーツケースは31kgもあった...。 |
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| 7月9日(日曜日)「パルテノンを見に行く」の巻 |
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朝早くから地下鉄でアクロポリスへ。パルテノンなどを見学。いやあすごいなあ!!ど迫力。現在修復作業中。しかし建物の大きさから言えば、東大寺大仏殿と同じぐらいかも。レバノンのパールベックの方が滅茶苦茶でかかった。でも、デカければ良いというものではない。 |
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でもそのロケーションが素晴らしい。丘の上にすっくと立ち、眼下にアテネの街並みを、そして、遠方にエーゲ海を見据える。エーゲ海から帰ってきた英雄達はこのパルテノンの丘を目指したのだろう。 |
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丘を降りて、完全修復された古代アゴラを見学、 |
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そのままアテネの中心街のコチャコチャした商店街でおみやげの買い物、気がつくとデジカメの1Gのカードが満杯に。からにするため、一度ホテルに戻る。そして夕方、ホテルの近所にあるマリソール旅行社で今回のホテル代の支払と、両替商がしまっていたため、明日道具を買う資金五万円ほど換金してもらった。 |
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国立考古学博物館へ。二時間ほど、閉館時間ぎりぎりまで見て回った。カタログを買いにショップに行った頃には7時を過ぎていたため、もう閉店、残念ながらカタログを買いそびれた。夜はアポストの教えてくれたレストランをオモニア広場近辺で探すが見つからず、近くの店に入ったがケバブはあまり美味しくなかった。ホテルに帰って、ワールドカップ決勝戦を見る。
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博物館はまさにギリシャ彫刻の宝庫だったが、その主なコレクションから、左は「アガメムノンの黄金のマスク」、右はキクラデス島の彫刻。 |
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そのころ、岩手ではピアノコンサート。 |
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潮音 |
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一番の仲良しの奈々ちゃんと絵美理。 |
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| 7月8日(土曜日)「作品を設置してアテネへ行く」の巻 |
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今日は設置の日。約束通り9時に現場に行ってクレーンの来るのを待っていた。が、しかし、案の定、11時頃にアポストロスが現れ、そしてバジリスが。そうこうしているうちにヤニーチャも到着。結局フォークリフトは12時近くに現れたものの、アンカーを入れる穴あけのためのドリルが倉庫に入っていて、そのカギも倉庫に入れたまま閉めてしまったらしく、スペアキーを市役所に取りに行ったらしい。しかも今日は休日ときた。それでもなんとか万難を排し、結局穴を開け、フォークで移動し、現場に仮設置。みんな大喜び。 |
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完成した「セリーナ」。ギリシャ神話のオデッセイアに登場する、船人をその美しい歌声で誘惑する頭人胴鳥の魔女がテーマです。来月初めにこの隣に台座を作って正式に設置する予定。こういうべたべたっとしたかたちの作品作るの久しぶりです。 |
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喜んだのもつかの間、あとはシャワーを浴びて、アテネに行く準備、みんなにお別れの挨拶をして回り、また、マリアを乗せて、タキスの車に乗り込んだのは2時半。三人でいざアテネへ。 |
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アテネに着いたのは6時ちょうどだった。ホテルに入って荷物をおいてから、国会議事堂周辺を散歩。夜はテレビでワールドカップの三位決定戦を見て熟睡。 |
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| 7月7日(金曜日)「最後の晩餐」の巻 |
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昼にちょっと作品の手直しと完成。夜は最後の晩餐をシンポジウムの彫刻家達と楽しむ。週末になるので彼らの奥さん方が集まっていた。彼らとは短い付き合いだったが、それでも別れを惜しんだ。(HK) |
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| 7月6日(木曜日)「作品完成!」の巻 |
午前中で私の作品が一応完成したので、夕方、ちょっと離れた別の場所、自動車学校跡地で開催されているギリシャ人だけのシンポジウム見学に散歩がてら行く。作家ひとりに学生上がりのアシスタント一人付いて、ふたりひと組で制作している。だいたいほとんどがアテネ芸術大学の先生、卒業生だ。
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酒神ディオニソスと剛腕アキレス。愛すべき優しいディオニソスはギリシャ神話のような男女愛をテーマに制作している。やっぱり、性格出るよな。アキレスは来年からエジンバラ芸術大学に行くらしい。 |
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がっしりとしたクリストフと牧神みたいなパン。船とギリシャハープをテーマに制作中。仲のよい二人は親子だ。 |
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映画俳優のようなロコスと怪力ジョージ。ロコスの作品は今回の作家の中で私は一番好きだ。ジョージは島の出身で英語に堪能。日本の女の子とつきあったことがあるらしい。 |
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ザギザオス。彼は英語が全くだめだ、でも適当に話していれば何となく通じている、と私は思っている。はじめは気難しい男かと思ったが、食事時にはにこにこしていい感じだ。腹が減ると機嫌が悪くなるのかも。彼だけ一人だった。 |
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クリストフと後ろで制作中のオディッセウス。クリストフは、抽象的な作品で、仕上げは金色と黒に着色するという。オディッセウスは普段黙って手巻きたばこを吸っていて、とてもおとなしく線が細い感じだが、仕事ぶりを見るとガンガンしている。 |
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パパヤニスとコスタス。彼らだけ金属作品制作中。奥さん息子同伴の、後ろで黙々と制作中のパパヤニスは日本のシンポジウムに参加したことがあるそうだ。日本料理は最高だったが、おまえ、ギリシャ料理はうまいか、と何度も聞かれた。彼はアテネ芸大の教授。 |
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現在アテネに帰っているジョージ。
やっぱりいつどこへ行っても、彫刻シンポジウムにはドキドキする。制作会場には何ともいえない懐かしい雰囲気が漂っていた。つい嬉しくなってしまう。シンポジウムでの彫刻家同士、みんなとは初めてあった気がしないのはなぜだろう。(HK) |
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| 7月4日(火曜日)「シンポジウム作家たち」の巻 |
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ギリシャ人彫刻家たちが続々と集まってきた。彼らはこれから一ヶ月間の制作に入る。シンポジウムとは本来ギリシャ語で「酒宴」を意味する。本家本場のシンポジウム{本当はオーストリアだけど}、どんな雰囲気なのだろう。彼らのうち何人かは今年三回目のシンポジウムだと言っていた。
オリンピックもそうだが、ギリシャ独自のアイディアを外部の人間が再解釈して新たな生命を与えたものだ。(HK) |
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| 7月3日(月曜日)「石を立てる」の巻 |
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ギリシャ作家たちの石が到着。私のより高い、質の良い石だ。クレーンでついでに私の石を立ててみる。(HK) |
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| 7月2日(日曜日)「パルキ・フェスト(港祭り)」の巻 |
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港祭り、ギリシャカントリーミュージックコンサートと花火。アポスト、ヤニーチャ、そして彼らの友人、パパゲノスと一緒に1時間ほど居る。外人が日本で初めて演歌を聴いたらこんな風に聞こえるかもと思った。テンポがたらたらなので聞いていても調子が狂うが、しばらくすると波間に漂う小舟のような船酔い感覚にも似た陶酔感に浸れる。廻りでは老若男女が一緒にアンソニー・クインのように踊っている。港を後にしてロカという洒落たレストランにアポストリとヤニーチャとパパゲノスと行った。パパゲノスは太いハバナ葉巻を加え、まるでギャングのボスだな。彼は40年前にカナダへ移住して事業に成功。いくつかビルを買ったとか。高価な時計を身につけ、マセラッティも持っている!成り上がりそのものだが、人間に全く嫌みがない。むしろとても感じがいい。支払いはすべて彼がやる。レストランでブランデー、いやコニャックを頼んだら、メタクサを持ってきた。もたつく感じがコニャックとはいえないのだが、この店は子牛の炭火焼き、いつ食べても美味しい。グリル料理関係だけはすばらしく美味しい。三時に寝る。(HK) |
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| 7月1日(土曜日)「夢ごこち」の巻 |
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昼はアヒリオンでムサカとカレイの子フライを、ウーゾで胃に流し込む。三週間たって、やっとオリーブオイルと40度の暑さに体が慣れてきた気がする。調子が出てきた。7月から始まる、我々のレジデンス・プログラムとは別のシンポジウムに参加するギリシャの彫刻家7人のうち、一人とアシスタント二名と合う。パトラから来たその作家はディオニソスといって見かけもまさにバッカス、酒の神様だ。アシスタントはアキレスとオディッセウスという。ギリシャ神話の世界そのもの。夜はアマリアーダでアポストの自宅で洗礼名記念パーティ。恐ろしくつまらなかったが、まあしょうがない。これもつきあいだ。そこから、マイキスという若い弁護士に連れられてカル−アというクルータの超巨大ディスコに行く。そこでいろいろな友達を紹介された、オーナーのサキとも会う。マイキスは自称、弁護士の卵だと言うが、まるでナイトクラブのオーナーのようだ。結局、五時半まで若い子たちと飲んで踊る。
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| 宮城教育大学時代にお世話になった美術理論教授の三井先生を夢で見た。三井先生には学生時代そんなにしょっちゅう世話になったわけではない。むしろ彫刻の土屋先生の方が圧倒的に恩師である。しかし、ポロックやゴーキーなどアメリカ抽象表現主義に関する三井先生の学内で発表された論文を読んだときの興奮と感動は一生忘れない、一晩中、興奮して眠れなかった(後年、「抽象表現主義へ」として出版)。人生への情熱が作品のすべてだ、そして作品を通して人は作家の風景を見る、作品が独自に持つ風景が必ずあると彼は言う。僕の作家としての方向性に決定的な影響を与えた人だと思っている。私が1988年に一度帰国したとき、彼の研究室で五時間ほど芸術に関して話したことも忘れない。芸術の神髄を信じ、芸術作品を純粋にこよなく愛し、心から尊敬していた人だった。彼のような人間に若いときに出会ったのは私の幸運であった。彼は宮城教育大学退官後、秋田の実家に母親と住む。母がガンで余命幾ばくもないということで多くの重職を退き、田舎に引っ込んだのだ。秋田でも教壇に立つことはあったのだろう。後年、仙台での私の個展に来られたときに、先生、岩手と秋田で近いので、何か一緒にやりましょうといったとき、何も言わず、にやりとされたのを思い出す。後で聞くと先生はすでにガンを患っておられて、自分の死期の近いのを悟っていたようだ。その翌年か翌々年、宮城県立美術館の斎さんからの電話で先生の死を知らされる。まだ生きている母を悲しませたくないので葬式はしないという遺言だったそうだ。僕らはまだ浮島のプレハブ住まいで風呂場をやっと増築したところだった。4月だったと思う。風呂場の外は淡雪が降っていて春の緑になり始めた野原をうっすらと白くしていたのが印象的だった。あっという間に解けてしまったが。(HK) |
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