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うきしま
浮島日記
その29
西暦2002年(平成14年)
9月
9月30日(月曜日)「メンテナンス中です」の巻 毎日、片づけと修理の日々。庭の草も大分刈ったし、草むしりも進んでいる。少しずつ、浮島もメンテナンスが進み、平常に戻ってきたような。一ヶ月家を空けただけなのに、見渡す限り、雑草と書類の山だ。かんじんのデジカメをメーカーに修理で出しているので、一週間ぐらいはホームページはお休みかな。浮島の活動全般の見直しの時期でもあるようだ。 旅の余韻は続いている。西洋でも、東洋でもないイスラム世界の、今回の旅はひさしぶりにカルチャー・ショックだったようだ。いまイスラム美術をテーマにした作品を考えてる。(HK) 9月22日(日曜日)「森一家来る」の巻 森一家が遊びにきた。森君の作るひっつみはいつも美味しい!大歓迎!あつし君がグミの実をとっている。(HK) 9月21日(土曜日)「潮音の誕生日」の巻 浮島での潮音の誕生日。ケイトのケーキはだんだん板についてきた。少しずつ、たまりにたまった、ほこりと事務仕事を片付けはじめる。デジカメ二台ともおかしいし、スーツケース二つとも壊れている。ニコンF3も壊れてたので、ついでにみんな修理に出す。庭の草もぼうぼうだ。(HK) 9月20日(金曜日)「帰国した」の巻 実は、今日が潮音の誕生日。機長にお祝いとして、彼の帽子をかぶってコクピット案内を受ける。ひさびさに日本に、浮島帰りついた。(HK) 9月19日(木曜日)「さらばロンドン」の巻 朝早く、フィリーダのところでケイトの作品をセットして、これで、今回の旅のすべての行程を終える。午後、ヒースロー空港に、アンとが子供達を連れてきてくれた。久々に会った子供達を受け取って、成田行きのジャンボに乗り込む。(HK) 9月18日(水曜日)「ロンドンその2」の巻 今度メンバーになることになった「王立英国彫刻家協会」に行く。中にあるギャラリーを一新するとか、今度、ここで個展しよう!夕方、タラファルガー広場でケイトの同級生のバーバラが歌うというので、聞きに行く。コンサート終了後、みんなで、パブになだれ込む。(HK) 王立英国彫刻家協会の建物 左から2番目がバーバラ 9月17日(火曜日)「ロンドンその1」の巻 評判の「テイト・モダン」をマイク達と見に行く。古い発電所を改造して近代美術館にしたこの建物は、その膨大なコレクションにもかかわらず、観て回る者にあまり疲れを感じさせない。帰り足でこれも評判のフォスターの設計した「大英博物館」の「グレート・コート」を見てくる。これもいい!ついでにエジプト、ペルシャ関係のコレクションを見てきた。(HK) テイト・モダン グレートコート 9月15日(日曜日)「またまた、また、ピラミッド!!!」の巻 カイロ最後の日。ギザのピラミッドを見て回る。「太陽の船博物館」も良かった。 やっぱり最後はギザのピラミッドで締めくくり。クフ王とカフラー王のピラミッド、スフィンクスの周りをなめるように見て回る。10年掛かりで組み立てたという「太陽の船」も綺麗だった。これで、今回のカイロの旅は終わり。まだ、ルクソールとアブシンベルに行ってない、砂漠ツアーも。今度一緒に行こうと二人に誘われる。明日はロンドンへ向かう。(HK) 夜は、グラントとクレアを誘ってナイル川を走るレストラン船「北京」で夕食。 9月14日(土曜日)「今日はモスク!!」の巻 カイロ市街の「イスラム美術博物館」へいく。その紋様の空間恐怖症的な緻密さに圧倒される。まるで密教じゃあないか、これは曼陀羅だ。部屋ごとに係りのおじさんが勝手に近寄ってきて、電気つけようか、写真取っていいぞ、とかいいながらも、熱心に展示物の説明を始める。こいつもバクシーシが欲しいのかな、と思いつつ聞いていると、みな握手だけで次のガイドにバトンタッチしていく。疑った自分を恥ずかしく思いながらも、イスラムの歴史に感服 イスラム美術博物館 館内 絨毯の修復作業中 シタデルのモスク モスク内部 もう一つのモスク 祭壇 コプティック博物館 初期のハムラビ法典風聖書 次に行った「シタデル」のモスクは観光客で一杯だった。しかもみんなほとんどナイスボディ、ホットパンツにタンクトップ姿。みな、入り口で緑の袋をかぶせられていた。もちろんケイトは、ズボン姿にちゃんとスカーフ持参。もう一つの隣のこじんまりしたモスクの素朴さと祭壇の精緻さに感動。オールドカイロの「コプト博物館」も面白かった。(HK) 夕方、グラントがわれわれをフルーカ乗りに誘ってくれた。持ち込んだ缶ビールを片手に、ナイルの流れに漂うこと一時間ちょっと、帰りはステーキ食ってかえる。(HK) 9月13日(金曜日)「またまた、ピラミッド!!!」の巻 クレア達の通っている、ギザのピラミッドの近くの乗馬クラブで一緒に馬を借りて、クレアと子供達、そのまた友だちと10人ぐらいのキャラバンを組んで、砂漠の中を走った。ギザのピラミッドまでぐるっと、約小一時間馬に揺られ(なんとか、しがみつきながら)も、壮大な風景に感動!遥か遠くに喧噪たるカイロの町並み、目前にはギザのピラミッド群が蜃気楼のように現れる。夜はクレアとグラントの仲間達と屋上でカラベヤパーティ。みんなエジプト衣装のカラベヤを着て集まった。(HK) 乗馬クラブで馬の準備 三船かジョン・ウェインか 馬上での撮影は難しい? ギザのピラミッド目指して ラクダにも乗ってみました ? 9月12日(木曜日)「また、ピラミッド!!」の巻 クレアの運転するパジェロで、メンフィス、サッカーラ、ダッシャーの遺跡を見て回る。(HK) 赤のピラミッド目指して 屈折ピラミッド 玄室の天井 実がどっさり 階段ピラミッド ピラミッドの入り口 赤ピラの玄室で エジプト料理もうまい! ピラミッドが見たいといったら、ギザは観光客で一杯だからと、ダッシャーとサッカーラ、メンフィスのピラミッドと、墓を見せてくれた。他に、ほとんど観光客はいなく、ただ警備のお巡りが数人自動小銃を持ってうろうろ、頼みもしないのに、説明を始めて、バクシーシ(喜捨)を我々にねだってばかりいる。腰をかがめて、えんえんと暗い通路を滑るように降りていく、ふと、膨大な量の石の圧迫感に息苦しさを覚えはじめたころ、玄室に到着。ヒエログリフ。(HK) メンフィスのラムセス二世像 メレルカの墓のジョセル王像 9月11日(水曜日)「ピラミッド!」の巻 朝チャーターしたタクシーで「カイロ博物館」を午前中かけてじっくり見る。何という密度。げんなりする。となりのヒルトン・ホテルで軽く昼食をとり、スークの「バザール」を回る。バザールではあさってのパーティ用の「カラベヤ」をうまく値切り倒して買う!夜、ギザのピラミッドでの「音と光のショウ」を見る。エジプト物語を小一時間大音響でやるのだが、これはさすがに飽きた、でも、ライティングとレーザーは見応えあり。(HK) 9月10日(火曜日)「カイロに到着」の巻 サミールに空港まで送ってもらい、エジプトへ発つ。一時間半のフライトで着いたカイロ空港は混乱の極み。しかし入国審査の手前で、クレアの手配してくれた旅行代理店の人間が待っていて、ビザの取得から入国手続き、通関、そして彼女のうちまでのタクシーの手配まで、すべてやってくれたので、重いスーツケース(40kg!)を押しながらも、とても助かった。ケイトの同級生のクレアの家に落ちついて、とりあえず、ジントニックで休息。(HK) 9月9日(月曜日)「さようならラシャーナ、レバノン」の巻 最後の夜、ラシャーナの小さなレストランでわれわれ作家数人とアルフレッド、マリイ、ジーナ、ファディとロナ、サミールとで軽く食事をする。来年このシンポジウムは10周年を迎える。この機会に彫刻公園の整備と記念シンポジウムをしたいという。その話の中で、資金調達のうえでもファンデーション(NPO)化した方が楽ではとケイトが提案した。それにたいしてマリイは、以前から文化庁からNPOにすれば資金提供すると言われているが、いまレバノンの国政も社会もまだ安定していない、文化事業を正当に判断する社会規範がない、いまNPOにすれば、たしかに金は集まるが、シンポジウム自体は空洞化してしまう恐れがある、あくまでも、バスブス・ファミリーの仕事としてシンポジウムを続けて行った方が良いと言った。さらに、今年のシンポジウムは内容的にもグループとしてもいままでで最高だった、作品を見たスポンサー達が来年はもっと金を出すと言ったらしい。また、来年も来ないかと誘われる。彫刻公園の整備に力を貸して欲しいと。来年ぼくらはシリア、ダマスカスでのシンポジウムにも誘われている。時期を調整すれば、来れるかも知れない。いや、ぜひ来よう!とりあえず明日はカイロだ。(HK) アルフレッドとマリイ わたしの ケイトの ファブリチィアーノ イブ、そして マリアーノの 9月8日(日曜日)「最後のランチ」の巻 これで無事レバノンのシンポジウムはおしまい。みなそれぞれ作品の完成写真を撮り、最後みんな一緒の昼食を食べる、いつものように。(HK) 9月7日(土曜日)「シンポジウム・グランド・オープニング」の巻 作品も完成し、300名ぐらいの招待客と共に作品披露式を行う。普通ならば、大統領夫人や文部大臣、各国大使が必ず出席するそうなのだが、あいにく、大統領の息子の結婚式とかち合い、その手の人間はひとりも来なかった。アルフレッド達はあきれて残念がっていたが、ぼくらは自慢のジョークを飛ばし合い、夜中まで最後のパーティを楽しんだ。(HK) 参加作家のマリアーノ、イブ、ケイト、アルフレッド、ファブリチィアーノ、カタ ファディ、ケイト、アルフレッド。参加記念のトロフィーをもらうケイト。 今回の作品についての自作の詩を朗読するナターシャ、彼女はレバノンでも有名な詩人だったのです。 9月6日(金曜日)「シンポジウム制作の追い込みに入る」の巻 明日はグランド・オープニング。皆ほぼ製作を終え、仕上げに入っている。夕食後、関係者を集めて、参加作家によるスライドトークを行った。(HK) 9月4日(水曜日)「バールベックに行く」の巻 シンポジウムの休みを取り、チャーターしたバスでレバノンを代表する詩人のジブラン博物館、ローマ時代の古代遺跡バールベックの巨大神殿、樹齢6000年のレバノン杉、アンジャル遺跡などをまるまる1日かけて見て回る。バールベックのスケールの巨大さにただ感服。ヨーロッパ最大のこの遺跡は、高さ20mの列柱群、一個1000t以上のものが礎石にごろごろ、しかも精密に使われていた。とてつもなくでかい石。むしけらのようなわれわれ。唖然!(HK) ジブラン博物館 レバノン杉 レバノン料理 アルギレを吸う レバノン国内を走り回ってみると、その警戒態勢の厳重さには驚かされる。主な道路や街の周辺の要所要所には、駐留するシリア軍とレバノン軍によるチェックポイントが数百メートル単位で置かれている。場所によっては、5,6台の戦車や重火器を装備した車輌が何台もごろごろしている。われわれがホテルからシンポジウム会場に行くまでの道路沿いにもチェックポイントが数カ所あり、30人ぐらいの兵士が毎朝、訓練しているのがうかがえる。まんじりともしない兵士の表情を見ると、さすがの私も、冗談にでもカメラを向けれなかった。レバノンの鉄道は依然、寸断されたままで、見通しの良い地点にはバリケードが築かれ、そこも軽火器を構えた兵士がバリケードの陰に息を潜めて居る。まだ戦争は終わっていないのだ。後日、誰からか聞いたのだが、我々がバールベックを訪れていた時、ちょうど近くで、パレスチナ人とレバノン軍との小競り合いのドンパチがあったらしい。そういえば当日、バールベックは停電だった。停電自体はレバノンでは別に珍しくないので気にもならなかったのだ。ここでは1日数回は最低停電する。シンポジウムでは製作に支障のでないようにいつでも自家発電機と切り替えられるようになっている。停電になるたびに誰かがスイッチを切り替える。そもそも原因は、ベイルート北のイタリア人の作った発電所がいつも故障して、しょっちゅうメンテナンスばかりしているせいだ、最近のイタリア人はだめだ。昔は優秀だったのに。あのバールベックを2000年前に作ったのはローマ人だからな、とトニーが教えてくれた。(HK) 9月3日(火曜日)「今夜はパエリャ・パーティ」の巻 今夜はマリアーノが、スペイン料理のパエリャを作る。シーフード満載、とてもおいしかった。昨日日本食を作るのに手伝ってくれたので、きょは彼の料理を手伝った。彼の話すフランス語は完璧(らしい)のだが(昔、フランスのプロサッカーチームの選手だった)なにしろ、スペインなまりがひどく、何を言われても、どっちにしても、私はちんぷんかんぷんだった。でも、さすがコミュニケーション能力の高いスペイン人、何となく分かるんだよね、言いたいことが。(HK) 9月2日(月曜日)「今夜はスシ・パーティ」の巻 今夜は日本食、マリイがかってきてくれた新鮮な魚、マグロの小さいやつ、をさばいて、スシを作る。私がシェフ、マリアーノとロナ達が手伝ってくれた。巻物はケイト。(HK) 9月1日(日曜日)「今夜はアナシャーのうちで誕生日パーティ」の巻 作品の裏面を彫るため、クレーンで石をひっくり返した。夜はアナシャーの奥さんのエルマーと息子ミッシェルの誕生パーティに招かれる。(HK) うきしま 「浮島日記」 バックナンバー その28(2002/08月) その27(2002/07月) 浮島日記アーカイブ その1〜最新版(2000/1月〜現在)
朝早く、フィリーダのところでケイトの作品をセットして、これで、今回の旅のすべての行程を終える。午後、ヒースロー空港に、アンとが子供達を連れてきてくれた。久々に会った子供達を受け取って、成田行きのジャンボに乗り込む。(HK)
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